元高校教員、現サラリーマン技術者のブログ

学校での体験や職場が変わる中で感じたこと、今の仕事で感じたことを中心に書いていきます。

教員を辞めてから④

大学院の生活について書きます。

私は理系でしたので、いわゆる実験室に住む生活を想像されるかもしれませんが、実際はサラリーマンと変わらないリズムで生活してました。

朝8時起床、9時登校、18時まで研究、というスケジュールです。

2000から2300まではバイトしてました。個別塾の講師です。

教師経験を金に換えないともったいないですからね。

主に中学生、高校生に教えていました、専門と違う数学を(笑)

学力も様々です。四則演算が怪しい子から地域のトップ校の上位で医学部を目指す子まで。

四則演算が怪しい子に中高の学習内容を理解させることは大変でしたが、素直でかわいかったです。

トップ校の子、トップくんは文化や芸術に造詣が深く、話していて楽しかったです。彼に教えてもらったゲームソフト「スローンとマクヘールの謎の物語」は、今でもたまにやってます(笑)しかしこちらも教えることは大変でした。「これ教えてください」と持ってきた学校の宿題が京大の入試問題だった、なんてこともざらでした。せめて理科を持ってきてくれと思ってました。

 

私は理学部でしたので、研究の大きな目的はわからないことを明らかにすることでした。

サンプルを化学的な手法を用いて分析し、そのデータからそれらしいことを主張するってことをやってました。

研究を通して非常に多くのことを学べました。

事実からの主張はビジネスでも研究でも本当によく使うスキルです。このスキルのレベルを最低限のレベルまで高められたお陰で仕事が少し楽です。また、学んだ分析手法や専門知識は直接仕事に役立っています。

 

一度社会に出て学生にもどったせいか、周りが子どもに見えましたし(今思うと偉そうです)、年齢を重ねているのに学生でいいのか焦ったり、本当に就職できるか不安だったり、心の中は不安定な状態が続いた時もあります。けど、いま思うとあの時の年齢は若いし、努力してたし、今思うとなんとでもなったなと思います。あの時の自分に、大丈夫、お前を求めるところはある、と言ってやりたいですね。

 

つまり、大学院はとてもいい時間だったということです。お金も使ったし(笑)、年齢も重ねたけど、死にそうなまま仕事を続けてなくてよかったなと思いました。

次は大学院の就職活動について書きます。