教員を辞めた理由③
ひっさしぶりに教員を辞めた理由を書こうと思います。
教員を辞めた理由③・・「適性がなかった」からです。
教員に必要な適性
教員に必要な資質を政府の偉い人たちが以下のように定めています。
- いつの時代にも求められる資質能力
教育者としての使命感、人間の成長・発達についての深い理解、幼児・児童・生徒に対する教育的愛情、教科等に関する専門的知識、広く豊かな教養、これらを基盤とした実践的指導力等 - 今後特に求められる資質能力
地球的視野に立って行動するための資質能力(地球、国家、人間等に関する適切な理解、豊かな人間性、国際社会で必要とされる基本的資質能力)、変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力(課題探求能力等に関わるもの、人間関係に関わるもの、社会の変化に適応するための知識及び技術)、教員の職務から必然的に求められる資質能力(幼児・児童・生徒や教育の在り方に関する適切な理解、教職に対する愛着、誇り、一体感、教科指導、生徒指導等のための知識、技能及び態度) - 得意分野を持つ個性豊かな教員
画一的な教員像を求めることは避け、生涯にわたり資質能力の向上を図るという前提に立って、全教員に共通に求められる基礎的・基本的な資質能力を確保するとともに、積極的に各人の得意分野づくりや個性の伸長を図ることが大切であること
まず無理でしょう。ここまでの資質を備えるのは。
使命感あって高い専門性を持っており世界、社会に対する広く深い見識を備え光る何かを持っている・・どれだけ人間ができているのか。聖人君子ですか、あるいは相当レベルの高い組織のリーダーか。
民間企業で求められる分野でこのレベルの資質を備えていたら、教員の2倍の給料は出してもおかしくありません。
日本の会社は出さないでしょうが。
私は何より「教育的愛情」が大切だと思っています。
愛情があればその子を何とかしたい、伸ばしたいと思うからです。
会社の仕事でいう仕事対象に対して「何かしたい」という想いとほぼ同じです。
対象に何かしたいだのよくしたいだの思わないと、ただこなすだけになっちゃいますので。
私が適性ないと思ったのは、教育的愛情がないと思ったからです。
正確にいうと、やりたい仕事内容(授業やHR)ではこの子たちを何とかしたいとか思いましたが、嫌な仕事(部活その他)では一切思えませんでした。
得意不得意は関係ありません。ただ思いませんでした。
それより自分の時間を返してくれ、その一心でした。
私は結局生徒より自分なのです。
自分の時間が確保され、自分の好きなことをやっている延長線上に、教育が欲しかっただけでした。
これは教師として絶望的だなと思いましたね。
というわけで、①激務 ②硬直した組織と文化 ③適性がなかった
という理由で私は教師を辞めました。
ただ、書いてみて思いますが、結局は部活動が一番大きな辞めた理由です。
部活動界隈の一切合切がなければ、私は教師を続けていたと思います。
色々な仕事をしましたが、教師よりやりがいのある仕事はないから。
今でも部活動さえなければ教師やりたいなぁと思います。
今後は教師を辞めたあとの職業についても(身バレしない程度に)書いていこうとおもいます。