教員を辞めた理由②
久しぶりに本題を書きます。
教員を辞めた理由②は、
「硬直した慣習と凝り固まった頭の教員」
※以下の文章は全ての学校、教員に当てはまることではありません。
高校教員は部活により土日も拘束されます。
職業の特殊性から職場での自分と本来(プライベート)の自分が分けにくいです。
つまり1年のほとんどを学校で過ごし、学校から学ぶものから自分のほとんどが出来上がる。
自分のすべて=教師になります。
そうして純粋培養の教師が出来上がるわけですが、やっかいなのがおっさん連中です。
非常識な教員の証左となっているやつらです。
学校からしか社会を学んできていないのに、自分の価値観が絶対的に正しいとして下の人間にぶつけてくる人種です。
高校の平均年齢的にも学校の多くはこの人種であり、必然的に慣習はおっさんたちの価値観で決められていきます。
・べき論大好き 社会人はこうあるべき、若い教師はこうあるべき、新人はこうあるべき、大学生は遊ぶべき・・
・生徒は厳しく追い込むもの
・仕事の重要度は、飲み会や教員間の球技大会=部活>校務分掌>>>学級>>授業
※ 飲み会は朝3時まで(笑)
プロとして授業や生徒指導や学級経営の妥当性を議論した記憶はありません。
学校がもっと教育成果にこだわり、教員に職業人としてのあるべき姿があればよかった。
私が経験した学校は人間関係ばかり重んじる田舎の寄合所みたいでした。
違和感全開でした。
民間にいると金を生み出せる(繋がる)仕事が大切、というより当たり前だという価値
観があります。そのために組織体制や仕事内容、レクリエーションの程度など最適化さ
れています。されていなくてもされていきます、まともな会社なら。
完璧ではないですが、私が元々持っていた仕事に対する考えと民間の考えは合致してい
ます。
昔の自分に、お前は間違っていない!と言いたいですね。
新卒だと無知だし仕事能力もまだ低いので言われたい放題言われたら受け入れる方向に
いっちゃいます。責められても言い返せず凹み肯定感下がります。
過去の自分、若い人、現代的な感覚を持っているのは凝り固まった教員のおっさんたちよりお前たちだ!!負けるな!!!