元高校教員、現サラリーマン技術者のブログ

学校での体験や職場が変わる中で感じたこと、今の仕事で感じたことを中心に書いていきます。

教員を辞めてから⑩

転職活動は狙い撃ちでした。

年齢は30を超え、転職回数も多いため、狙いを定めないとまず内定は出ないだろうと思ったからです。

狙いを定めたのは、院生のときに辞退した会社。

中小企業ですが研究開発職の求人で、これまでの経験も活かせます。転勤もほぼなく、給与もそこそこいい。

転職のストーリーも作れます。

とりあえず連絡してみようと

直接会社に連絡しました。

するとホームページには求人の記載があるのに、今は募集していないとのことです。

この時点で怪しい会社と思いましたが…

年齢と経歴を簡単に伝え、とりあえず履歴書を送ってくださいということになりました。

すると面接しますとのことです。

適当な会社だな…と思いましたが、中小企業なんてそんなもんだと今なら思います。

面接することにしました。

 

面接も適当でした。

部署の長と人事部の長の二人が面接官でしたが、

部署の長は途中から来て途中で出ていきました。

私の経歴を批判しただけでした・・

その後は人事部の長へいくつか質問して終了です。

20分ほどでした。

こんな面接でいいのだろうかと思いましたが、

履歴書見た段階で確認したいことは決まるので、

それを確認したらあとは必要ないということでしょう。

大企業のように多くの関係者が採用に絡むわけではないので

明確な判断規準もいらないですし。

言ってみれば担当者と社長がOKならそれでOKです。

 

数日後に内定をいただきました。

その後家族内ではひと悶着ありましたが転職することとなり、

今に至ります。

正直選ぶ会社を間違えたと思いました(思っている)。
しかし何とか続けています。

今はいつ辞めてもいいように蓄財をしているところです。

 

教員を辞めてからシリーズはこれでおしまいです。

今思っても教員は向いていなかったので辞めて後悔はありません。

しかし、向いている人格と能力を備えて生まれ変わるなら

やりたいなとも思います。

結構高給で福利厚生の待遇もよくあれほどやりがいにあふれた

仕事はほかに知りません。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

教員を辞めてから⑨

2回目の教師として配属されたのは、僻地にある小規模校でした。

1回目の赴任校とは違いすぎてカルチャーショックを受けました。

まず生徒数が少ない。

びっくりするくらいの少なさです。

そして学力がとても低い(というより知的に問題がある)。

高校理科の内容はほとんど扱えなかったです。

コマ数も少なかった。

一回目の教師で経験した大規模な進学校からすると、同じ職業かと疑うくらいでした。

 

私の中に、これは選択を間違ったんじゃなかったか‥という気持ちが芽生えてきました。

 

とはいえ公立校は転勤があります。

しばらく待っていればこの学校から出ます。

そのときまで待てばいいです。

 

ところが、それではだめだと思うようになりました。

教師という仕事への適性を疑うようになっていたからです。

 

進学校と違い、生徒とは受験勉強を通じて繋がれません。

何というか、人間対人間でつながらないといけません。

生徒は理科の教師として私を見るのではなく、教師、人間としての私を見てきます。

 

私は自然科学を仕事にしたいと思っていました。

自然科学が私を変えてくれたからです。

自然科学が今の私を作ってくれました。

だから私から自然科学を抜くと、なんの特徴もありません。

ところがその学校では理科の授業どころではないので、これまで積み上げてきた自然科学のあれやこれやがほとんど必要ありません。

当然、自然科学を通しての自分以外で勝負しないといけない。

否応なしに、教師として、人間としての自分、を突きつけられました。

 

私には何もありませんでした。

生徒指導力などのスキル面は、それなりにまだ若いし、今後努力して身につければいいです。

一番驚いたことは、情熱がないことでした。

生徒を教育しようとか、生徒のために自分の人間力だとか指導力を上げようとか。

そういった熱が湧いてこない。

昔は間違いなくありました。

今ないということは、自分が変わったか、生徒が変わったからか、です。

前者だと思いました。

なぜなら、この4−5年で根本的にあまり人と関わることに喜びを感じない自分となっていたからです。

いや、元々そういう気はあって、それが強まって認知するまでになったということです。

人が嫌なら生徒がどんな層でも無理です。

教育は人とかかわらずにはできないからです。


そういうわけで、結局技術者にもどろうと転職活動を進めることになりました。

 

 

私はこのとき教師に戻ったことは本当に間違ったなと感じています。

自分の人生経験としてはよかったです。

自分はどういう人間で何に向いてないのかがわかったので。

ただ、キャリアとしては最悪なものになりました。

 

今の私からすると、情熱があろうがなかろうが安定していて収入も大きいのだから家族のために辞めるなとも思います。

考えようによっては割り切り方もあります。

ただ、続けても後悔はしていただろうなと思います。

人が嫌な以上続けていても毎日地獄です。

だから辞めたことに後悔はありません。

教員を辞めてから⑧

ほぼ一ヶ月~の試験対策で教員採用試験に臨みました。

受験したのは3つの自治体。

結果はそれぞれ、一次敗退、二次敗退、合格でした。

二次敗退も不合格者の中ではトップでした。

 

私の過去の合格パターンとして、いくつか受けて面接慣れした状態を維持させるというものがあります。

面接では面接用の自分を作らないといけません。

面接は特殊な場です。

面接用の立ち振舞いが求められます。

相手の目をまっすぐ見て、声も張らないといけません。

嘘くさくならないように表出する部分を細部まで調整しないといけません。

素のままではとても対応できません。

 

私の対策は、相手に合わせて話す内容を決め、そこに想いを無理矢理乗せ、本番のアウトプットを繰り返すことでした。

話す内容に論理性を持たせることや、演技は苦手ではありませんでしたので、本番を繰り返せばそこそこのものにはなりました。

それが上記の結果に繋がりました。

 

昔合格している(その時は3つの自治体に合格)とはいえ、一ヶ月の対策で合格できるとは思いませんでした。

だから戸惑いましたが、合格は嬉しいものでした。

結局、また教師に戻ることになったのです。

 

教員を辞めてから⑦

お久しぶりです。

ブログから大分遠ざかっていましたが、

教員関係をまとめきるまではやりたいと思います。

教員辞めてシリーズの続きです。

 

客先仕事ばかりしてやりたいことができず、不満が溜まりまくってました。

やりたいことは研究開発でした。

肉体労働により、体力が削られ、

知識をつけたり思考したりする時間や気力も奪われ、

研究開発をするために必要な経験が積めない。

同期や入社年度の近い先輩後輩はしっかりと研究開発をしている。

なんで自分ばかり…もう30も近いのに…

と、ストレスで爆発しそうでした。

実際製品を投げて壊したりしてました(笑)

捨てる予定のものですけどね。

 

ただ、今思うとあの経験もすごくいいものだったなと思います。

技術者には技能者的能力も必須ですから。

また、あそこで腐らず、耐えていれば、研究をする時間も持てていました。

私が辞めてからとある事情で客先仕事が激減したと聞きましたので。

あのまま頑張っていれば、別の人生があったということです。

日本にはいないかもしれませんが。

色んな経験ができたと思います。

技術者としての幅も広がったでしょう。

収入も社会的地位も、結構なものだったと思います。

 

話を戻します。

環境が変わらず、転職を考え始めました。

そこで考えたのが、別の技術職か、教員か、

です。

教員に少なからず未練があったのです。

生徒とのやりとり、授業、

色々な場面でのいい思い出と、感じていたやりがいといったものが、美化されて残っていたためです。

ただ、部活があったり、訳のわからん人間がいたことでパワハラまがいの行為を受けた嫌な思い出も、しっかりと残っていました。

だから決めきれませんでした。

 

ただ、他の技術職と言っても、中々希望の研究開発職などありません。

また現場仕事をやらされるかもしれない。

迷いましたが、とりあえず出願だけしようと、期限ギリギリで出願を終わらせました。

 

それから一ヶ月、悩みなが仕事をこなし、教員採用試験の勉強には中々手が付きませんでした。

ほぼ何もしていませんでした。

ところが試験一ヶ月前に、理不尽に上司から説教(確か2時間以上)を食らい、気持ちが教員に傾いた瞬間がありました。

傾いたというか、この環境から逃げたい気持ちが強くなった、ということですが。

 

その日から一ヶ月、勢いで教員採用試験の勉強に取り組む日々が始まりました。

 

久しぶりの投稿

お久しぶりです。

久しぶりの投稿です。

コロナ禍で最近の社会情勢はひどいものですが、皆様お元気でしょうか。

私は仕事、子育てに追われながらも何とか生きてます。

連休中にブログ更新しよう!と意気込んだものの結局一度しか更新できず・・

 人間、強くやろうと思わないと行動しないですね・・。

 

年々仕事へのモチベーションが激的に下がってます。

転職しまくって何とか生きる道を模索してきましたが、どうしたって組織労働が無理だということが分かりました。

嫌な人間と何とか関係を維持しながら接して仕事をしていくことが苦痛でしょうがないです。

もともと私は一人が大好きで、子どもの時から一人で行動してきましたから、集団や組織というものにどうしても馴染めません。

10年くらい努力したけどダメです。

正直、心身共にぼろぼろです・・

教員でも技術者でも無理なものは無理でした。

いずれまた仕事が続かなくなります。未来が見えます。

 

というわけで最近は組織から離れる道を模索しています。

個人事業主ですね。

家族を養っていけるだけの才覚も自信もないので、すべてを捨てて飛び込むことはできずにもんもんと過ごしているのですが、兼業主夫として家庭に貢献しながらその道に入っていけないかと模索しています。

妻が働いているので、その収入+私の兼業分で家計を回し、私が家庭運営を全面に行いながらフリーとしての活動も並行できないかとずっと考えています。

兼業分は技術関係か教育関係の仕事を考えています。

何かトラブルがなければ家計が回る算段はついており、妻の理解も得られつつある(というより諦め)ので現実的になってきました。

 

社会一般の常識から外れるし批判だらけでしょうが、現状の最適解はこれかなとも思っています。

二度とフルタイムの組織労働には戻れなくなるので、失敗したら私は一生バイト生活でしょうが。とてもリスキーといえばリスキーです。

逃げに逃げてますが、だれにでもできる選択ではないのかもしれません。

 

模索の日々が続きます・・・

今年も終わります

お久しぶりです。

今年も終わりますね。

2019年度はどんな年だったでしょうか。

私は転職と子育てのダブルパンチでとても大変でした。

仕事に行き、子育てをし、不足知識の補充のための勉強。その繰り返しでした。

そのためか特別な思い出がありません。

頑張ったけどなんとなく日々が過ぎていったな、という感覚です。

まぁ頑張りが中途半端だったこともあると思いますが。

教師のときは日々一生懸命で、1年を振り返ったときに思い出がたくさんありました。

授業ひとつでも毎回に自分の思いがありました。

ところが今はそんなものありません。

日々やるべきことがあって、少しは向上しようと努力してはいますが、こなせればいいと思ってやってきました。

そのせいですかね、不完全燃焼の年だったなという思いが拭えません。

 

転職はあまりするものではないですね。

なぜ教師を簡単に辞めたのか、後悔することも最近は多いです。

このブログに来る人は少なからず教師を辞めたい思いがある人だと思いますが笑、

本当に辞めたいのか?仕事に何を求めるのか?教師以外の仕事でもそれは満たされるか?など、いろんな角度から辞めるのは妥当か検討したほうがいいです。

転職してきていろんな職場を見てきた私見ですが、教師ほど心の充足感のある仕事はないと思います。

 

今日は買い物に行き、大掃除をし、ガキ使を見てゆっくり過ごそうと思います。

それでは皆様、よいお年を。

教員を辞めてから⑥

大学院を修了して入った会社は、その業界では老舗と呼べるような会社でした。

業績はとても安定しており、生涯勤めるにはもってこいの会社です。

私は技術職として入社し、研究所に配属になりました。

 

仕事内容は本当に大きく分けると2つです。

・テーマ別研究開発

・客先案件

テーマ別研究開発は自社テーマに沿って研究を進め、学会発表し、投稿論文を書く。

いわゆる研究職の仕事です。

客先案件は名前通り客先仕事です。詳しくは書けませんが、様々な要望に応える仕事です。

両仕事の比率は2:8程度で、客先仕事が圧倒的に多かったです。

いやしんどかったですね。そして面白くなかった。

自分のやりたいことではなく言われた仕事をひたすらにやらなきゃいけないので当たり前ですが。

また結構肉体を使ったのもしんどかった。

客先仕事をずっと続けていった私は、

だんだんと闇にはまっていきました・・